山形地方裁判所 昭和36年(ワ)273号・昭36年(ワ)220号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔判決理由〕三、よつて先ず、被告の(本件寺院所有不動産に関する=編者注)売買による所有権取得について案ずるに、
(一) ≪省略≫
(二) そこで大正二年十二月二十四日に締結された右売買契約の効力について審究するに、当時寺院の財産処分に関する制限規定として、明治六年七月十七日太政官布告第二百四十九号社寺什物並祠堂金等処分心得方(以下単に太政官布告第二百四十九号)、明治九年二月二日教部省達第三号社寺所有田畑林並寄附金又は古文書類処分心得(以下単に教部省達第三号)、明治十年五月十六日太政官布告第四十三号寺院において金穀借入方(以下単に太政官布告第四十三号)、明治十二年七月十四日内務省達乙第三十九号寺院の宝物古文書類抵当取扱方(以下単に内務省達乙第三十九号)第が存在し、寺院の代表役員の財産処分行為に関し大巾な制限が加えられていた。ところで右の諸規定は、処分を禁止又は制限する財産の範囲程度及び監督官庁の許可並びに檀信徒総代の同意の要否につき極めて不明瞭なものであるが、右の諸規定全部についての一貫した文理解釈に加え、当時の宗教政策から推認される立法趣旨より考えるとき、少なくとも、本件の如き寺院の基本財産を構成する不動産の処分については、寺院代表者は独立の権限を奪われ、檀信徒総代の同意及び監督官庁の許可を要したものであることに毫も疑がない。尤も、本件において檀信徒総代の同意を得ていること既に認定した通りであるからこの点は論外であるが、監督官庁の許可が必要であつたことは、前顕乙第一、第三号証に夫々、「拙寺の本寺及其筋へ右交換出願之手続を経交換可仕候」及び「然る上は其筋の認可を得次第登記請求の上残金引換右土地御渡申候」と明記されている点より見ても極めて明瞭である。而して、本件につき監督官庁の許可を得たことにつき何等立証がなく、却つて前顕各証拠を綜合すれば許可を得なかつたことが認められる上に、監督官庁の許可が処分行為の法定有効要件に属し、之を欠く法律行為が無効であることは従来の解釈運用に照らし論をまたないところであるから、被告主張の売買契約はこの点において所有権を移転する効力がないものと言わねばならない。
(三) 以上の次第で、被告の右主張は、売買契約成立の時及び売買代金完済の時に二分して考察する迄もなく、失当として排斥を免かれない。
四 次に、被告の取得時効の主張について案ずるに、既に認定した通り、本件宅地は被告の明治初期の先代が、原告寺院より之を含む宅地七畝九歩と共に借受けて以来今日に至る迄、被告の先代等及び被告に一貫して占有使用されて来たもので、その間明治二十六年三月十九日に内容不明ではあるが借地権の設定契約が締結され、その後明治三十九年以前同地上に相当堅固な本件建物が築造され、更に大正二年十二月二十四日に所有権移転の効力なき前記売買契約が締結されているので、民法第百八十六条の推定及び同法第百八十七条と相まつて、一応取得時効の要件が充足されたかの如く窺われる。然し、右の推定は単に消極的な効力を有するに止まり、反証によつて容易に覆えされるものであるところ、原告は、被告の占有が他主且つ悪意の占有であると抗争するので、順次之等の争点につき判断を加える。
(一) 先ず原告は、大正二年十二月二十四日の前記売買契約が監督官庁の許可を得ない無効のものであり、売買当事者双方がこの点を知悉していたから、被告先代が本件宅地に自主占有を開始する筈がないと主張するのに対し、被告は、たとえ同契約が無効であつても、当事者双方の意思が売買契約締結にある以上、被告先代が同日以降自主占有を開始したことに疑を容れる余地がないと反論する。ところで、自主占有か否かは占有取得の原因である事実の客観的性質によつて定まり、占有者が内心所有者であると信じたか何うかにより決することではないので本件においては、前記の太政官布告第二百四十九号、教部省達第三号、太政官布告第四十三号、内務省達乙第三十九号等の強行法規に違反する寺院所有不動産の売買契約の性質より之を定めねばならないところ、之等の諸法規が、監督官庁の許可なき法律行為につきその成立自体まで否定する趣旨なのか、あるいは停止条件付類似のものとして成立することを認める趣旨なのかは問題であると思われる。案ずるに、之等の諸法規は、寺院財産保護の目的を以つてその代表役員の能力に法的制限を加えた趣旨なのであるから、この点を強調すれば停止条件付類似の処分行為が成立する余地がないかも知れないが、然しながら、一般的に停止条件付の法律行為および官庁の許可を停止条件類似のものとする法律行為はその成立を認められている上に、寺院財産の場合であつても、監督官庁の許可を得られないことの確定したときにおいて始めて効力を生じないものと解しても、寺院に不当な損害を与えることが予想されず、却つて寺院および第三者にとつてより利益であり、前記諸法規の立法趣旨より逸脱するところはないと考えられる次第である。したがつて、監督官庁の許可を停止条件類似のものとする寺院の不動産処分行為が有効に成立すると解されるところ、本件においては、前顕乙第三号証の記載に之と同旨の約旨が窺える許りか、前認定の事実関係に徴するとき、前記売買契約は、既に借地権設定により相当堅固な本件建物が築造されている本件宅地につき、早晩被告先代が名実共にその所有権者となるべきことを予定し、然も原告寺院側よりの積極的な申込により締結され且つ即日代金の大部分の授受を了したものであり、したがつて、契約の解除又は監督官庁の不許可処分確定による契約の失効というが如き特段の事態が生じない限り、原告寺院は被告先代に対し本件宅地の返還を求めず、また確定的に所有権を移転する迄の間は、あたかも所有権者と同様にその無償使用を許す趣旨であつたのであり、之を換言すれば、被告先代の従来の占有が借地権による他主占有であつたのを、新たに停止条件付類似の売買契約により自主占有に変更する約束であつたと認めるのが相当である。以上の次第で、従前の占有の性質を変更すべき新権原が停止条件付類似とは言え売買契約であるのに加え、その占有の客観的態様並びに売買契約当事者双方の意思等を綜合すれば、被告先代が大正二年十二月二十四日本件宅地に開始した占有は従前の他主占有を自主占有に変更した占有であり、それが今日まで継続してきたと認めるのを相当とすべく、原告の反証を以つてしては之を覆えすに足りないと言わねばならない。
(二) しかしながら、前顕乙第三号証および前認定の事実を綜合すれば、被告先代は前記売買契約を締結する際、監督官庁の許可がなければ確定的に本件宅地の所有権を取得しないことを知悉していたと認められるから、被告先代の占有及び之を承継した被告の占有は悪意の占有であることが認められ、他に之に反する証拠は存在しない。したがつて、占有の態様が善意であるとの推定は覆えされたものである。
(三) そうだとすると、被告の占有は、自主、平穏、公然且つ悪意のものであり、然も自主占有と悪意の占有は何等牴触しないから、右占有は民法第百六十二条第一項所定の要件を充足し、大正二年十二月二十四日より二十年を経過した昭和八年十二月二十四日の満了を以つて取得時効が完成し、被告は右原因により本件宅地の所有権を取得したと認めるべきであり、本件宅地がもと寺院の所有に属した事実は、時効取得を禁ずべき理由にならないし、又之を禁じた規定も存しない。それ許りでなく、この場合檀徒総代又は信徒総代の同意及び監督官庁の許可を要しないことは、時効制度本来の趣旨から見て言う迄もないことである。(石垣光雄)